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折返銘 来 国俊
刀 拵付 長さ 2尺3寸1分 反り 7分
重要刀剣指定
来国俊は鎌倉時代後期に山城(京都)を代表する名工である。
始祖は国行でその子と伝わるのが国俊である。
来派は鎌倉中期から南北朝期において山城最大流派。
来国俊と折返銘があり、「俊」の字は不明であるが「来」の字の特色から見て来国俊と鑑定される。即ち「三」と並べるのが国俊の来の字である。この刀は上の出来が華やかである。 参考資料 重要刀剣図譜


金象篏銘 来 国行
刀 拵付 長さ 2尺2寸 反り 3分3厘
重要刀剣指定
国行は来派<鎌倉時代から南北朝期まで山城国(京都)を代表する流派>の事実上の祖であり、短刀の確実な遣例は一口のみであるが、太刀の在銘作は比較的多い。国行の作刀には製作年紀のあるものは皆無で、その子と伝える二字国俊に弘安元年紀(1278年)があることから、銘鑑にいう康元頃(1256年)という年代は妥当とみてよかろう。
同工の太刀姿は、細身・尋常なもの、身幅がたっぷりとして豪壮なものなど様々である。
この刀は大磨上無銘の茎に、同工極めの金象篏銘が入られたもので、象篏の施行は明治以降ながら丁寧な仕事がなされている。
身幅広めの体配(姿)を示し、地沸のよくついた鍛えで板目に杢が交じり、広直刃調に小丁子・小乱れごころ交じりの刃文を焼き、刃沸が厚くつき、刃中の足・葉の働きが豊富で見事である。
様式論的にも、また出来の位の点からも国行の極めは妥当であり、且つ同工極めの作中でも殊に優品である。 参考資料 重要刀剣図譜


無銘 当麻
刀 拵付 長さ 2尺2寸7分 反り 4分6厘
特別重要刀剣指定
大和国当麻は当麻寺に属していた刀鍛冶の一団の人々の作を総称するもので、鎌倉時代末期の国行を祖として始まったが、国行有銘作は国宝、重要文化財に各一口が知られている。
この刀は鎬幅が広く、鎬の高い大和物の特色が見られ、さらに、地景の入った板目肌に食違、ほつれ、砂流を交じえた直刃に沸がよくついているなど有銘作に近い出来である。 参考資料 特別重要刀剣図譜


無銘 志津
(附) 本間薫山 鞘書 古河藩土井家 伝来
刀 拵付 長さ 2尺3寸 反り 6分3厘
重要刀剣指定
大磨上無銘の刀で志津と伝えている。
志津は大和手掻派の刀工包氏が、相州正宗の門に学び、成業の後 兼氏 と改め、濃州志津の地に移住したことからの呼称で、五ヶ伝(山城・備前・大和・相州・美濃)中の美濃伝の始祖として鎌倉の末から南北朝期にかけて活躍している。
この刀は身幅が広く、重ねが薄く、大鋒(大切先)となり、南北朝期の特色ある造込みで、
地沸厚く地景入り、刃文は小のたれに互の目。尖り刃を交じえて小沸つき、帽子はのたれ込んで先は盛んに掃かけるなど、それと鑑せられるものである。 参考資料 重要刀剣図譜


信国 応永三十年八月日
刀 拵付 長さ 2尺1寸3分 反り 6分7厘
重要刀剣指定
信国は了戒系の刀工で、のちに貞宗の門に学んだと伝え、現存する年紀の最も古いものは延文・貞治であり、今日ではこちらを初代としている。南北朝期に同銘が二、三あり、室町初期に及び、応永信国の中では源左衛門尉信国、式部丞信国が著名である。
この太刀は室町時代初期の応永三十年紀(1423年)の式部丞信国で、沸のついた互の目乱れの刃文で、地刃に信国の特色をみせ出来がよい。 参考資料 重要刀剣図譜


宝寿(金粉銘)
朱書 享保七寅年 代拾枚折紙 (附)享保七年 本阿弥 光忠 折紙
刀 拵付 長さ 2尺3寸2分 反り 6分6厘
重要刀剣指定
古伝書には、奥州に奈良朝時代から鎌倉期にかけて多数の刀工が存在していたことを伝えているが、作刀の現存するものは宝寿だけと言ってよく、この名称は南北朝期を経て室町時代に及んでいる。
この刀は南北朝期を降らぬものと鑑せられ、地鉄は板目に杢が交じり、地沸がよくつき、総じて鍛えが優れ、刃文は浅いのたれを主調に互の目を交え、よく沸づき、二重刃風・砂流し・金筋がかかるなどして働きも豊富であり、宝寿極めの中で特に垢抜けて出来がよい。享保七年本阿弥光忠の折紙が附帯しており、茎にはその光忠折紙附きである旨の朱書と、「宝寿」の金粉銘が施されているが、これは本阿弥光遜の手になるものである。
参考資料 重要刀剣図譜

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